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東京高等裁判所 昭和46年(行コ)79号 判決

控訴人

東京郵政局長

高仲優

右訴訟代理人

藤堂裕

外七名

被控訴人

沖典明

右訴訟代理人弁護士

東城守一

外二名

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は、「原判決を取り消す。被控訴人の請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴代理人は、控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の主張および証拠関係は、次のとおり付加するほか、原判決事実摘示と同一であるから、ここにこれを引用する。

被控訴代理人は、次のとおり述べた。

一、控訴人の主張は、これを要するに、公務員の政治活動禁止の論拠を「全体の奉仕者」を論拠として、「行政の政治的中立性に対する国民の信頼感の確保」に求めようとするものである。その表現をかりれば、「特定の公務員の政治的行為によつて現実の行政面に具体的な影響を生ずるかどうかということや、その影響の有無と不可分の関係にあるその公務員の地位や職務内容のいかんが関係するがごとき余地は全くない。」という結論を導こうというのである。

しかしながら、公務員の中には国会議員、国務大臣のように政治活動を通じて国民全体に奉仕することを任務とするいわゆる政治的公務員があること自体から明らかなように、「国民全体の奉仕者」ということから一直線に公務員の政治活動禁止の理由にはなりえないのであつて、一般職の国家公務員についていえば、その地位、職務に相応する別個の理由がなければならないのである。問題は、一般職の国家公務員が国民全体の奉仕者として責任を有するかどうかということではなく、一般職の国家公務員に政治的中立が要請される根拠は何かということなのである。

一般職の国家公務員の政治的中立の要請の根拠を議会制民主主義と法治主義に求める原判決のような立場では、「政治の領域に属する政策決定ないし法律の定立はもちろん、典型的な行政過程である政策の立案、決定された政策の執行、法律の立案、法律の運用、執行も、国民に政治的責任を負わない非政治的公務員の政治的目的により左右または影響されてはならない。」という理由から、「弊害を防止するため、非政治的公務員の地位、権限、その担当する職務の内容に応じ、その目的達成に必要な最小限度の制限を非政治的公務員の政治的自由に加えることは憲法の許すところと考えるべきである。」として「その制限は行政の中立性確保のため必要な最小限度の制限でなければならない。」ということになる。これに反して「全体の奉仕者」から一直線にその論を述べる説では控訴人の主張にみられるように政治的中立の義務は、「全人格に及ぶものであつて、たんに職務上の行為のみならず、全生活態度に及ぶものである。」という論旨に及び、結局「行政の中立性に対する国民の信頼感の確保」という主観的抽象的な不確定要素を根拠にして、一般職国家公務員の職務権限、職務執行との関連性を無視して一律に政治活動を禁止することになる。

両者の相違は重大である。憲法第二一条の保障する表現の自由の中核たる政治活動の自由の理解について、本質的ともいうべき相違である。控訴人の主張は、理論上、問題を混同しているばかりではなく、一般職の国家公務員の政治活動を職務、権限にかかわりなく一律広汎に制限することによつて、憲法第一三条の規定する比例の原則を無視する結果となり、労働基本権や表現の自由についての違憲審査の接近方法として、「合理性」の基準をとらず、比例の原則ないし「より制限的でない他の選択しうる手段」の原則を採用している判例の動向にも反するのである。

二、被控訴人は、郵便集配業務に従事して機械的労務を提供するにすぎない現業国家公務員である。そして本件政治活動は、勤務時間外である昭和四一年五月一日(日曜日)のメーデー当日、労働組合運動の一環として行われたものであり、職務遂行と関連した行為でもなければ、職務上の地位や国の施設を利用して行われたものではない。被控訴人の掲げた横断幕には「全逓本所支部」と明記してあり、「郵政省職員」とか「本所郵便局職員」ないしその一同または有志と記載していたのではない。それでもなお控訴人は、「その勤務する行政官庁全体の行政の中立性が疑われ、国民の行政に対する信頼を失わしめる結果を招くことになる。」というのであろうか。

控訴代理人は、次のとおり述べた。

一、(一) 一般職の国家公務員の政治的行為制限の憲法上の根拠について、控訴人の主張する全体の奉仕者を根拠にする説、職務の性質を根拠とする説あるいは特別権力関係論を根拠とする説と原判決の採用した議会制民主主義と法治主義を根拠とする見解とは、互いに相容れない背反的なものではなく、非政治的公務員(行政的公務員)の政治的中立性の要請を異る視点から説明したものにすぎない。原判決の採用した見解は、国家機関のうち立法作用およびこれを担当する立法機関と行政作用およびこれを担当する行政機関とを対置させ、前者の優位という観点から説明するものであり、控訴人の主張する説のうち職務の性質を根拠とする説は、立法作用、行政作用に従事する国家公務員の職務権限の分配という観点から説明するものであり、他方全体の奉仕者論を根拠とする説は、国家公務員の責任の観点から説明するものであり、特別権力関係論を根拠とする説もほぼこれに近いということができよう。そして前記両説は、並列させて比較すべきものではなく、両者の関係を立体的に考察すべきものである。即ち、両者の関係を単純化して説明するならば、

(1)  立法作用、立法機関―政治的公務員(全体の奉仕者)、

(2)行政作用、行政機関―非政治的公務員(全体の奉仕者)という対応関係が成立し、(1)と(2)の対立ないし差異は、(1)に対応する政治的公務員の全体の奉仕者としての責任、(2)に対応する非政治的公務員の全体の奉仕者としての責任にそれぞれ投影され、政治的公務員の責任と非政治的公務員の責任に差異を生じさせるのである。右に述べたように、両説の間には実質的な差異はないのであるが、政治的制限が公務員に課せられた義務として把握されている以上、公務員の責任の観点から説明する「全体の奉仕者論」説がより適切である。従つて原判決が政治的行為制限の根拠としての「全体の奉仕者」説を誤りであるとして退けたことについては到底これにくみすることはできない。

(二) 憲法第一五条第二項は、すべての公務員について全体の奉仕者たることを規定し、それらの公務員のなかには政治活動の自由を認められた政治的公務員が含まれているが、全体の奉仕者たる公務員の従事すべき事務には、国の立法作用、行政作用、司法作用に対応して、立法事務、行政事務、司法事務の種別があり、これらの各種の事務に従事する国家公務員の全体の奉仕者たることの意味内容も自ら差異を生ずるのである。即ち、立法事務に従事する国家公務員は、政治活動を行うことによつて公共の利益のために奉仕し、行政事務に従事する国家公務員は、決定された国の政治的意思を忠実に執行実現することによつて公共の利益のために奉仕し、司法事務に従事する国家公務員は、個々の事件について法を適用実現することによつて公共の利益のために奉仕するのである。このように国家公務員の奉仕者たることの意義内容は、その従事する事務の種別によつて異なるのであり、全体の奉仕者たることの意義内容の差異に応じて、国家公務員に課せられる義務にも差異を生ずるが、その義務の基礎をなすものこそ国家公務員の全体の奉仕者たることの責任である。このことを一般職の国家公務員についてみれば、各種の服務規律の一として政治的行為の制限が存する。以上のように国家公務員の全体の奉仕者たることの責任は、各種の公務員によつて発現の形態を異にしているが、その形態に差異があるからといつて、その基礎をなしているものが全体の奉仕者たることの責任であることを否定するのは、本末を転倒するものである。

次に控訴人も全体の奉仕者性を理由に、非政治的公務員の職務外の政治的行為がすべて否定されるべきであることは考えていないのであつて、全体の奉仕者性から行政の政治的中立性を阻害し、または行政の政治的中立性に対する国民の信頼を損うおそれのある政治的行為のみが制限されるのである。

控訴人も比例の原則を忘れているものではなく、必要な限度、合理的範囲をこえて政治的行為を制限することが許されないことは、政治的行為制限の根拠について如何なる説を採用しようと同じことである。国家公務員は、行政の政治的中立に対する国民の信頼を損うおそれのないよう行動すべきである。そのためには個々の公務員が一部の国民のため偏つた行動に出てはならないのは勿論、そのような行動をすると疑いを持たれるような行動をしてはならないのである。従つて公務員の行動を政治と切り離して中立的なものとして、国民の信頼を保障する必要があるのであり、このため表現の自由の一である政治活動の自由がある程度制約を受けることもやむをえないのである。二、政治的行為制限の合憲性の判定基準としての「より制限的でない他の選択しうる手段」の原則は、法令の合憲性を審査するにあたつて、必ずしも十分な効用を有する基準とはいい難い。何故ならば、裁判所がより制限的でない他の選択しうる手段を探求することは容易でないからである。そのために原判決においても、「より制限的でない他の選択しうる手段」の基準の具体的適用過程は、結論に至る理由を示すというよりは、単に結論を宣言するための呪文の如き役割を果しているにすぎない。

この点精神的自由の制限に関して、右原則を適用したと称しているアメリカの判決においても同様であつて、精神的自由を制限する法律の合憲性の判断基準として用いられる「より制限的でない他の選択しうる手段」の原則と称するものは、それ自体特別の判断基準としての意義を持つものではなく、結局合憲であるためには法律に定めた制限が必要最小限度のものでなければならないという当然のことをいうものにすぎないと思われる。わが国においても、この原則は、いまだ一般に確立した合憲性制断の基準とはいえず、またこの原則は、不明確であり、具体的事件について実用性を有しない。

原判決のとる新しいテストも必ずしも成功したものではないようである。原判決の中にかかる原則のいきずまりを見出す。思うに公務員の政治的中立性の要請と民主社会における国民としての政治活動の自由との具体的調和点をどこに求めるかは、民主主義体制のものでは国民の意思に基づいて決定する立法府の合理的裁量の領域に属するものというべきであり、その裁量に基づいて行われた立法府の判断は、合憲、適法なものと推定され、立法府が利益考量を誤り、制限の範囲が明らかに不合理であるなど裁量の範囲を逸脱したと認められない限り、違法とされるべきではない(昭和四〇年七月一四日最高裁判所大法廷判決)。

三、被控訴人は、郵便配達員は、行政過程に全く関与することのない機械的労務を提供するにすぎない者であるから、このような者の政治的活動を規制することは、違憲である旨主張する。

被控訴人は、政策の立案、決定および執行ならびに法律の立案、定立に関与しない地位にあり、その意味で行政過程に関与することのないいわゆる機械的労務を提供することを本務とする者である。してみれば、その意味では私企業や公共企業体の職員と相通ずる面を否定することはできないかもしれない。しかしかかる捉え方は、被控訴人が提供する労務の性質の実体把握についての見方であつて、この観点から被控訴人と国との法律関係をすべて把握しようとすることは、明らかな誤りである。この勤務関係の実態とは制に、被控訴人については国家公務員としての任用関係、換言すれば、国家公務員としての身分ないし地位の設定に関する法的側面があるのである。最も顕著な具体的なあらわれは、国家公務員法等に規定されている懲戒処分であり、その事由である。そして被控訴人に対する本件戒告処分の当否に関する争点は、右の法的地位に関する側面についての問題なのである。従つて被控訴人の職務上の地位、職務内容の如何は、本件争点とは係りのない事柄なのである。

控訴人は、さきに公務員の全体の奉仕者性や公務員の政治的中立性は、議会制民主主義に対する国民の信頼感を保護しようとするものであることを強調した。議会制民主主義という体制の根幹を擁護するためになされる公務員の法的地位に対する規制が公務員の政治的中立性の確保に関する法的規制なのであつて、そこには特定の公務員の政治的行為によつて現実の行政面に具体的な影響を生ずるかどうかということや、その影響の有無と不可分の関係にあるその公務員の職務上の地位や職務内容の如何が関係するが如き余地は、全くないといわなければならない。

四、被控訴人は、昭和四一年五月一日、メーデー集会後の集団示威行進に際し「アメリカのベトナム侵略に加担する佐藤内閣打倒―首切り合理化絶対反対全逓本所支部」と記載された横断幕を掲げて行進したものであるが、この行為は、国公法第一〇二条第一項人事院規則一四―五第五項第四号第六項第一三号の禁止条項に該当する。被控訴人の行為は、「アメリカのベトナム侵略」に反対し、郵政省の「首切り合理化」に反対するとの主張を掲げたいわば特定の政策に反対する趣旨にとどまるものではない。被控訴人は、公務員としての被控訴人が所属する郵政省を含めた行政=政策の頂点に現に成立している特定の内閣を指定して、この打倒をスローガンとして掲示し、しかも横断幕の記載から一般国民においてこれを掲げ持つている者が郵政省職員であることを認識しうるようにして掲示したものである。このことは、被控訴人が時の内閣によつて決定された政策に従つて、いわば非政治的にのみ職務を逐行すべき地位にありながら、現に自らの内閣を打倒すべく運動を展開していることを公示しているものであつて、このような行為は、一般国民をして議会制民主制を通して確立している行政の一体制に対する疑惑を抱かしめるおそれのあるものであることは明らかである。

理由

第一、次の事実は、当事者間に争いがない。

(1)  請求の原因(一)記載の事実(被控訴人の身分および職務)

(2)  被控訴人は、昭和四一年五月一日(日曜日、勤務時間外)、東京都立代々木公園で行われた第三七回中央メーデーの集会に参加し、さらに同集会後に行われたメーデー参加者による集団示威行進に参加したのであるが、右集団示威行進に際し、会場出発後約三〇分間にわたり「アメリカベトナム侵略に加担する佐藤内閣打倒―首切り合理化絶対反対全逓本所支部」と記載された横断幕(横約2.5メートル、縦約一メートルの布製の横断幕の両端を竹竿で支えるもの。)を掲げて行進したことおよび控訴人は、右行為を理由として、同年一一月二二日付で被控訴人に対し、戒告の懲戒処分をしたこと

(3)  被控訴人は、郵便配達員で、行政過程に関与せず、単に機械的労務を提供するにすぎない非管理職の現業公務員であることおよび右行為が勤務時間外に、その職務または国の施設を利用することなく行われたものであること

(4)  本件横断幕の記載文言が全逓本所支部の選定にかかるものであり、被控訴人が同支部青年部副部長として横断幕の記載文言の選定に参加し、また自らその文言を書くなどして、指導的な役割を果したこと

第二、控訴人が本件懲戒処分の事由として主張するところは、被控訴人の本件横断幕を掲げて行進した前記行為は、人事院規則一四―七「政治的行為」第五項第四号第六項第一三号に規定する政治目的のための政治的行為に該当し、国公法第一〇二条第一項(政治的行為の制限)に違反するので、結局同法第八二条第一号に該当し、同時に右行為は、「国民全体の奉仕者たるにふさわしくない非行」と認められるので、同条第三号に該当する、というにあるところ、被控訴人は、被控訴人のように行政過程に全く関与せず、かつ、その業務内容が細目まで具体的に定められているため、機械的労務を提供するにすぎない非管理職にある現業公務員が、勤務時間外に、国の施設を利用することなく、かつ、職務を利用しようとせず、もしくはその公正を害する意図なしに、政治活動を行つた場合は、その弊害は絶無であるから、そのような政治活動を規制することは、憲法に保障された表現の自由を侵害するものであり、従つて本件行為を規制し、懲戒処分を加えることは、憲法第二一条第一項に違反する、と主張するので、被控訴人主張の国公法の適用の有無についての判断はさておきまずこの点につき判断する。

一、国公法第一〇二条第一項およびその委任に基づく人事院規則一四―七に、一般職国家公務員の政治行為をきわめて広範に制限している。右政治活動の制限の理由は、「国家公務員法の適用を受ける一般職に属する公務員は、その職務の遂行にあたつては、厳に政治的に中立の立場を堅持し、いやしくも一部の階級若しくは一派の政党又は政治団体に偏することを許されないのであり、かくしてはじめて、一般職に属する公務員が憲法一五条にいう全体の奉仕者である所以も全うせられ、また政治にかかわりなく法規の下において民主的且つ能率的に運営せらるべき行政の継続性と安定性が確保されうる。」(昭和三三年三月一二日最高裁判所大法廷判決)ことにある。さらに右に加うるに一般職の国家公務員が国の行政機関を構成するというその職務の特殊性に鑑みるときは、公務の政治的中立に対する国民の信頼の確保、維持にあるということができる。もちろんひとしく全体の奉仕者としての公務員であつても、国会議員あるいは国務大臣、政務次官等の政治的公務員には政治的自由が認められ、他方一般職の国家公務員に対しては政治的中立およびそれに対する国民の信頼の確保が要求されるのは、各々の全体の奉仕者として職務内容の相違に由来し、その相違は、議会制民主主義と法治主義に基づくものであるとしても、一般職の国家公務員に対する前記要求は、究極のところ憲法第一五条に規定するところの全体の奉仕者たることに求められるのであり、両者の考えの間に本質的相違はないというべきである。

しかしながら公務員といえども個人として、その市民的自由、政治的権利が十分に保障されなければならないことは、憲法そのものに内在する原則というべきである。そして民主制国家においては、国民の政治的行為の自由こそ政治の民主的運営に必要不可欠のものであり、この意味で政治的行為の自由は、憲法第二一条第一項の保障する表現の自由の中核をなすものであり、最大限の尊重を必要とするものといわなければならない。従つて政治的自由の民主制社会における重要性に鑑みるときは、行政の中立確保およびそれに対する国民の信頼維持のため、一般職の国家公務員につき政治活動に対する制限は、その目的達成のため必要な最小限のものでなければならず、いやしくも右目的達成に不必要な制限を加えることは許されない。

そして一般職の国家公務員の種類も多様であり、またその職務内容も千差万別であつて、政治的自由の制限の可否を一律に決することはできない。従つて一般職の国家公務員の政治活動に対する制限が必要最小限のものであるか否かを判断するに当つては、公務員の地位職務内容、職務上の行為か、勤務時間内の行為か勤務時間外の行為か、国の施設を利用してなされたか否か、職務を利用する意図をもつてなされたかあるいは行為の内容について個別的具体的に検討しなければらなない。

控訴人は、昭和四〇年七月一四日最高裁判所大法廷判決を掲げ、政治的自由の具体的制限の程度を決定することは、立法府の裁量に属するものというべく、それが明らかに範囲を逸脱したものと認められない限り、その判断は、合憲、適法たものと解すべきであると主張するが、右最高裁判所大法廷判決は、労働基本権という憲法上初めて認められるに至つた、いわゆる社会権に関するものであつて、表現の自由に由来する政治活動の自由という基本的人権に関するものではないから、右判決は、本件の先例とするには適当ではなく、前説示のとおり、当裁判所は、控訴人主張の如き考え方をとらない。

二、一般職の国家公務員のうち国の政策決定に密着した職務にあるもの、直接公権力を行使しあるいは裁量権を保有するもの、もしくは以上の公務員を補佐する等いわゆる行政過程に関与する職員については、これからの公務員が一党一派に偏した活動を行うときは、これが職務執行に影響し、公務の公正な運営が害される虞が強いことはいうまでもない。そしてこれら公務員は、職務の執行に際してのみならず、職務外においてあるいは勤務時間外において前記政治活動を行うときは、やはり公務の公正な運営もしくはそれに対する国民の信頼が損われる虞があるものといわなければならない。これに反し行政過程に全く関与せず、かつ、その業務内容が細目まで具体的に定められているため、機械的労務を提供するにすぎない非管理職にある現業公務員が政治活動をする場合は、それが職務の公正な運営能率を阻害しあるいは国民の信頼を損う程度は、前記の場合に比し、より少いというべきである。勿論これら非管理職にある現業公務員の政治活動といえども前記弊害をともなうことも考えられるのであつて、たとえば、勤務時間中あるいは国の施設を利用して政治活動を行うときはその職務の能率を害しあるいは職務に影響を及ぼすことは明らかであり、又その職権その他公務員であることから生ずる公私の影響力を政治目的のために利用しあるいは政治目的をもつなんらかの行為をなしたことの代償として職員の地位に関してなんらかの利益を得ようと企てるならば、公務の中立性に対する国民の信頼を損いあるいは公務の公正が害される虞なしとしないから、これらの政治活動を制限する必要があるものということができる。

ところが国公法第一〇二条第一項人事院規則一四―七第五項第四号第六項第一三号は、特定の内閣に反対する政治的目的を有す(署名ある)文書を掲示することを一律に禁止している。しかしながら、右行為を前記非管理職の現業公務員が、勤務時間外に、国の施設を利用することなく、かつ、職務を利用しもしくはその公正を害する意図なしに行つた場合には、その行為により公務の中立性が害されるおそれのないことはもとより、国民の信頼を損うおそれも又ないものといわなければならない。けだし、もともと政策決定あるいは裁量権の行使に影響を及ぼしうる権限を有しない職員が、時間的、場所的に、又その意図の上においても職務と離れて、前記の如き行為をしても、それにより行政が政治的に影響を受けあるいは行政運営の能率が阻害され、もしくはその掲示により国民が公務の公正な運営に危惧を抱き、信頼を損うに至るおそれはないものというべきであるからである。従つて少くとも右職員に対しては、前記行為を制限する根拠は存しないものといわなければならない。

控訴人は、議会制民主主義に対する国民の信頼を保護するためには、公務員の勤務関係の実態とは別に、公務員としての身分ないし地位の設定に関する法的側面の観点からその政治活動を制限する必要があるのであつて、その政治活動によつて現実の行政面に具体的に影響を生じたかどうか、公務員の職務上の地位、職務内容が関係する余地はないと主張する。右主張は、要するに全体の奉仕者たる公務員の地位、身分から一律に公務員の政治活動を制限する必要があるというに帰すると解せられるが、憲法第一五条に規定する全体の奉仕者たることは、公務員の政治活動の制限の根拠となりえても、その必要最小限度の制限の程度、範囲は、公務員の地位、職務内容等につき個別的、具体的に検討することを要することは、前叙のとおりであるから、控訴人の主張は、到底採用に値しない。

従つて、非管理職である現業公務員で、その職務内容が機械的労務の提供に止まるものが、勤務時間外に、国の施設を利用することなく、かつ、職務を利用し、若しくはその公正を害する意図なしで行つた人事院規則一四―七第五項第四号第六項第一三号に規定する特定の内閣に反対する政治目的を有する文書を掲示する行為を制限することは、少くとも前記立法目的達成のために必要な最小限の域を超えているものといわざるをえない。

三、被控訴人が郵便配達員で、行政過程に関与せず、単に機械的労務を提供するにすぎない非管理職の現業公務員であることおよび本件行為が勤務時間外にその職務または国の施設を利用することなく行われたものであることは、冒頭掲記のとおりである。

ところで国公法第一〇二条第一項は、職員は人事院規則で定める政治的行為をしてはならないと規定し、又それをうけた人事院規則一四―七は、すべての一般職に属する職員に同規則が適用される旨明記されており(第一項)、同規則第五項第四号第六項第一三号の規定を合理的に制限解釈を加える余地は全く存しないものといわざるをない。よつて被控訴人の本件行為に、国公法第一〇二条第一項人事院規則一四―七第五項第四号第六項第一三号が適用される限度において、右各規定が憲法第二一条に違反するもので、これを被控訴人に適用することは許されないものといわなければならない。従つて本件行為が右各規定に該当もしくは違反するものとして、これに右各規定を適用してなした本件懲戒処分は、その限度において効力を有しないものといわなければならない。

第三、被控訴人の本件行為が国公法第八二条第三号に該当するかどうかは、それが同法第一〇二条第一項人事院規則一四―七第五項第四号第六項第一三号に該当するかどうかとは直接関係はないけれども、本件行為は、前記のとおり適法な行為であるから、国公法第八二条第三号にいう「国民全体の奉仕者たるにふさわしくない非行」にあたるとはいえないことは、多く説明するまでもない。

第四、以上の次第であるから、被控訴人に対する本件懲戒処分は、違憲違法のものとして取り消すべきものである。従つて被控訴人の本訴請求は、その余の点につき判断するまでもなく、相当として認容すべきである。

よつて右と同旨の原判決は相当であつて、本件控訴は、理由がないから、これを棄却することとし、民事訴訟法第三八四条第一項第九五条第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(石田哲一 小林定人 関口文吉)

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